
〜長谷寺のお釈迦さまの足跡を石に刻んだ仏足石〜
先日、とても久しぶりに息子と夕飯を食べることができました。
私は、とろろ昆布そば 彼は カツの卵とじとうどんのセット^^
こちらも久しぶりに、美味しかった〜

食べ終わるころ 息子が最近思うこと、気づいたことを話してくれたのですが
この数年でとても逞しくなった彼の話を
しっかり人生してるな〜と 嬉しく思いながら聞いていました

おそらく私が彼くらいの年齢の時には
自分の考えにも、まだまだ自信が持てずに
勝手に傷ついたり 疎外感を感じたり がっかりしたり
表現しようとする自分自身の口を 自ら意識的によくつぐんでいたものでした
今二十歳の息子が、その気持ちや考えを話してくれることが
とても嬉しくて、有難くて
彼らと話す時間は、本当に楽しいひと時・・・

感謝

話してくれた 友達や、自分よりもうんと歳上のバイト先の人とのことからも
気持ちや考えを伝えるということ、できるようになったんだね〜と
その日は、そんな様子も嬉しく感じながら
うんうん! そうなんだ〜! と楽しく聞き入っていました。
・・・実際のある日の出来事の話から
その事に対して
自分の意見を批判されたり、自分と違う考えを突きつけられたとしても
「そういう色んな考えの人がいていいと思うし、仕方ないとも思う
力ずくでわからせようとは思わないし
それが明らかにおかしいようなときや
納得いかない時には無理に同意はしないし
だからって自分がおかしいとか、相手がどうのかではなくって
ただ俺も、その自分の考えを大事にしていいと思うしね・・・
それに自分の意見や気持ちも言ってるから
小さいころのように、いやな気持ちになったり
傷つくみたいなこともないんよ〜
一番や二番とか・・
だれが正しいとか、間違えとか、
だれが勝ちか、負けだとかをあまりにも主張しすぎたり
ただ同じことをくりかえして
いまだに戦争は続いているし
そんなことが優先順位高くなっててもそうなるのかもね・・・
(こんな展開に

)
善いことにせよ、悪いことにせよ
生きている間に そうするとどうなるのかを
それがどういうことなのかを
そしてそこからどうしていくのかを
人は 生きている間に
自分で気づいて何とかしていくものなんだろうから
なにかやるにしても、生きることにしても
だから途中でやめるとか・・ 途中でやめさせるとかは
その人にとっての結果が、そこで終わってしまうということだもんね
でもまた、だからまた繰り返すんだろなって・・・
ただ最近、鈍感になったかな〜
大人になると鈍感になるのかな?って思ってて よくないな〜って
・・・そっか〜
でもそれはね
鈍感になったのではなくて
強くなったんだよ〜
動じなくなったんだよ
そして、自分自身が傷つかない
本当の優しさが育ってるって事じゃないかな〜

そういうと、またフッと明るい顔で
あっ そうなんかね〜!? と笑っていました

(話てくれた一部のご紹介でした

・・)
色んな話の流れの中で
個人のこと 人との関わりについて 社会や世界についても
息子たちと時々話します。
小さい頃から・・・今でも時々
父親のいない寂しくて厳しい環境だったにも関わらず
本当に大きくハート豊かな彼らを心から尊敬しています。
これまでの人生の色んなあれやこれやにも、ある頃から気づきはじめ
ハートの豊かさへのエッセンスにしていこう!と決めたのも彼らのお陰
私自身の純粋な意識を思い出させてくれた一番の先生だと、
数々の心配や不安も沢山経験させてくれて・・・笑
私の弱い自己犠牲いっぱいだった、だらしない優しさも
傷つかない苦しまないほうへと、大きく大きく強く成長させてくれた彼らに
心底感謝

ホントにありがとう〜


母もまだまだ頑張りま〜す!!!
〜愛と感謝を込めて〜